11 | 2024/12 | 01 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 | 31 |
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ブルイックラディのマネージングディレクターであるマーク・レイニア氏が、「スコッチウイスキーの起源はヴァイキングかも?」といった興味深い記事をオフィシャルサイトに載せている。スコッチの蒸留技術はアイルランドの宣教師によって伝えられたというのが定説だが、ヴァイキング起源説はそれを覆す新説だ。
ヴァイキングが伝えたのかもしれないというその根拠だが、スコットランド在来種の大麦であるベア種はそもそもヴァイキングが持ち込んだもの、そして彼らは最初に蒸留アルコールが製造されたといわれる中東にまで進出していたという、その2点だ。
いわゆる海賊としての「ヴァイキング時代」は793年にイングランドのリンディスファーン修道院を襲撃したのを皮切りに、1066年にスタムフォード・ブリッジの戦いでイングランド軍に敗北するまでとするのが一般的。また最初に蒸留アルコールが製造されたのも8世紀から9世紀にかけてだといわれている(レイニア氏によれば、800年ごろにガーバーというアラブ人が、シリアで最初の蒸留酒を造ったという記録があるのだそうだ)。すなわちヴァイキングが、ベア種の大麦と蒸留技術を一緒にスコットランドに持ち込むことは可能だったということなのだ。
ウイスキーが歴史上はじめて文献に登場したのは、1405年のアイルランドだ。スコットランドでは1494年が最初で、スコットランド王室財務記録帳に、「王の命令により修道僧ジョン・コーに8ボルの麦芽を与え、アクアヴィテを造らしむ」と書かれている。しかし実際は、これより数百年前から麦芽の蒸留酒はあったというのが定説だ。この点でも、ヴァイキング起源説は矛盾しない。
あるいは、どちらの説も間違いではないという可能性もある。双方もしくは複数のルートから伝わったと考えるのが、むしろ自然ではないだろうか。もしかしたらヴァイキング起源説も、別に目新しい考え方ではないのかもしれない。キリスト教が生活の中心にある国々で、ヴァイキング説が遠ざけられ、アイルランド宣教師説だけが取り上げられるのは決して不思議なことではない。
アビン・ジャラクの3年熟成シングルモルトを購入してみた。価格は驚くなかれ、1本150ポンド(≒18,000円)。しかも容量は500ミリリットルで、46%に加水されている。やや相場を逸脱したボッタクリに近い値段だとは思うが、好奇心に負けてしまった。ただ、それなりに手のかかっていそうな木箱(チーク材)に収めらていて、同蒸留所の強い意気込みが伝わってくる。が、それにしてもだ。同時期にリリースされたグレングラッソのザ・ファースト・カスク3年の90ポンドが、なんだかリーズナブルに感じられ思わず苦笑してしまった。
上の画像は、左の2本が熟成が3年に満たない、いわゆるスピリッツ。40%に加水されている。蒸留所の説明によれば、わずかな期間ヨーロピアンオークのシェリー樽に詰めておいたらしい。“わずかな期間”がどれだけなのかは公表されていないが、液体の色の濃さはやや不自然な気もする。多少はカラメルで着色されているのかもしれない。またノンチルフィルタリングであるため、かなり濁っている。健康を害するのではないだろうかと、不安になるくらいのレベルだ。もちろんテイスティングはしたが、コメントは控えておこうと思う。なおウイスキー専門家のゲヴィン・D・スミス氏らのテイスティングノートが、ここに載っている。評価の星3つ半には正直目を疑った。
さて右端のもっとも色の薄いのが、この中でもっとも長熟な3年物のシングルモルトウイスキーだ。シングルカスクでノンチルフィルタリング、ノンカラーリングとなかなかのスペックだが、46%に加水されている点だけは残念である。以下はテイスティングノートだ。
アロマ: |
ローランドモルトを思わせる、すっきりとした甘さ。ユーカリオイル、
スペアミント、軽やかな潮風、大麦のもろみ、段ボール、森林。 |
フレーバー: |
香りから想像できる味。やや粉っぽいテクスチャーが舌に残る。
ミントキャンディ、駄菓子屋のチョコレート、安物のグラッパ、落雁。 |
フィニッシュ: |
すばやくフェードアウトするが、ピュアな心地いい甘さ。
|
風味の似ているシングルモルトを挙げるとすれば、若いリトルミルだろう。今後熟成を重ねることで、どのように変化していくのか興味深い。
今月の23日ウイスキーメーカーのコンパス・ボックスが、ザ・ウイスキー・エクスチェンジのスキンダー・シン氏の協力を得て開発した新商品、ザ・ラスト・ヴァッテドモルトをリリースした。なぜ「ラスト」なのかというと、スコッチウイスキーの新たな法律によって、“ヴァッテド”という表現の使用が11月22日をもって規制されたからだ。11月23日以降にボトリングされるウイスキーのラベルや関連の印刷物、ウェブなどで、ヴァッテドモルトはすべて“ブレンデッドモルト”と言い換えることが義務付けられた。
英国で、スコッチウイスキーを定義する新たな法律が施行されたのは、一昨年の11月23日のこと。ヴァッテドモルトやピュアモルトといった法定外の表記は使えなくなることが決まったが、ラベルなどの表示変更には2年間の猶予が設けられた。今月の22日にその期限を迎えたわけだ。
今回の法律改正の発端となったのが、2003年のいわゆる「カードゥ=ピュアモルト論争」だ。これはディアジオ社がカードゥとグレンダランのヴァッテドモルトを、シングルモルトと同じ「カードゥ」のブランド名で発売し、もめごとを起こした一件。ラベルにはシングルモルトではなく、定義の曖昧なピュアモルトと記されていたため、「紛らわしい!」といった戸惑いの声があがり大きな論争を呼んだ。最終的には同社が当該商品をすべて回収し、この件は一応の決着を見る。しかし事態を重く見たスコッチウイスキー協会は、翌年に法律改正に向けた活動に着手した。
さてこのザ・ラスト・ヴァッテドモルトのスペックだが、ノンチルフィルタリングのカスクストレングス(53.7%)、1323本限定で価格は175ポンドだという。気になる中身だが、22%がファーストフィルのシェリー樽で寝かせたスペイサイドモルト36年もの(1974年ヴィンテージ)で、残りはアメリカンオーク・ホグスヘッドのアイラモルト26年もの(1984年ヴィンテージ)だとのこと。蒸留所名は明かしていないが、推測できるヒントを出している。スペイサイドは「アベラワー村にある2つの蒸留所のうちの若いほう」、アイラは「アスケイグ港のある村の有名な蒸留所」だとのこと。アイラはカル・イラに間違いないが、スペイサイドはちょっと考えてしまう。2つの蒸留所は恐らく、アベラワーとグレンアラヒーだ。住所にアベラワーと付く蒸留所は他にもいくつかあるが、「アベラワー村の蒸留所」といえばこの2つをはずすことはできない。となると、スペイサイドモルト36年ものの正体はグレンアラヒーだと推測できる。
なお同時に、ザ・ラスト・ヴァッテドグレーンもリリースされている。こちらの中身は、31%がインヴァーゴードン1965(42yo)、14%がカースブリッジ1979(29yo)、20%がポート・ダンダス1991(20yo)、そして35%がキャメロンブリッジ1997(14yo)となっている。これはこれで興味深い。297本限定で、価格は125ポンド。
日付が変わる間際、こんな催しも行われたようだ(笑)。
1986年11月に操業を停止したグレングラッソ蒸留所は、当時は操業再開の見込みはほとんどないとまでいわれていた。しかし2008年2月にロシアや東欧の投資家たちが中心になり、エドリントン社から同蒸留所を買収、翌年の12月には操業を再開し奇跡の復活を遂げた。最初に詰められた樽が今年の12月16日に熟成期間がちょうど3年を迎え、法律的にウイスキーと呼べる歳になる。誕生日を迎えたらすぐにボトリングされる予定だそうで、ノンチルフィルタリングでカスクストレングス、650本の限定販売だという。
この“一番目の樽”だが、リフィルのシェリーバットとのこと。ユニークなのは、熟成が2年を経た2010年12月16日に一旦他の2つのシェリー樽(ペドロヒメネスのファーストフィルと、パロ・コルタドのファーストフィル。共にホグスヘッド)に詰め替えられたことだ。9か月後の2011年9月16日には、どちらも再び元のリフィルバットに戻され、現在マリッジ中だという。
パロ・コルタドは珍しいシェリーだ。風味の特徴はオロロソの豊かさと、アモンティリャードの切れのよさを合わせもつ。オロロソと同種の酸化熟成系のシェリーだが、人為的に造ることができない偶然の産物でその確率は1~2%程度だという。
オフィシャルサイトのオンラインショップでは、すでに先行予約販売を開始している。価格は90ポンドとやや高めの設定だが、“一番目の樽”というプレミアムを考えれば仕方がないのかも。
アウターヘブリディーズ諸島のハリス島に、蒸留所ができるという噂が流れたのが今年の3月頃だった。その後関連の情報はほとんどなかったのだが、半年ぶりに続報が届いた。ハリス島の蒸留所計画については、半ばで頓挫したブラックウッドやアイル・オブ・バラと同じパターンかもと、正直なところ特に気に留めていなかったのだが、ルイス島(ハリス島とは陸続きで1つの島になっている。北側をルイス島、南側をハリス島と呼ぶ)のアビン・ジャラクが軌道に乗りつつあることを考えると、今追い風は吹いているのかもしれない。
アイル・オブ・ハリス蒸留所の創業を計画しているのは、イングランド・オクスフォードに住むアメリカ国籍のビジネスマン、アンダーソン・ベイクウェル氏。「蒸留所をオープンさせる目的は、まず地元の雇用を創出することです。原材料には地元農家の栽培した大麦を使い、通や鑑定家に高く評価される美味しいウイスキーを造りたいですね。一部の大手蒸留所のように、熟成やボトリングは船で運んでメインランドでというやり方はしたくありません。それらをハリス島で行えば、さらに雇用は増やせるわけですからね。」とベイクウェル氏は話す。
建設予定地は、フェリーのターミナルもある島の中心地ターバート。目標とする年間生産量は90,000リットルだそうで、エドラダワーやグレン・スコシアど同じくらいの規模だ。個人経営としてはまずまずの大きさだろう。ちなみにアビン・ジャラクは、20,000~30,000リットルなので、その違いは歴然だ。また仕込みなどに使う水は、東ターバート川が流れ込む、現在使われていない2つの貯水池から引く予定だという。気になるのはポットスティルだが、外国人であるベイクウェル氏はアビン・ジャラクのように伝統的な密造スティルを模倣することには、こだわらない可能性もある。
今後のスケジュールだが、2012年中には着工し2015年にオープンする予定だという。アビン・ジャラクのマーク・テイバーン氏は、蒸留所が完成するまでの苦労について「本当に苦難の連続だった。」と語っている。アンダーソン・ベイクウェル氏も、どうか最後まで諦めずに頑張ってほしい。